居合術(道)考察

☆ 現代では、斬ったり斬られたりする時代ではない事をまず念頭において、現代の
 『居合道』と、日本古来の『居合術(斬術)』を、多方面から考察したい。
  斬る技術である居合術が、戦国時代が終わると、斬る技術よりも精神性を
 重要視するようになって、居合道と言われるようになりました。
  斬る技術を磨く事は、道しるべや、道を行く事ではありません。
 あえて「道」と言わずとも、居合術を習練して行くうえで精神修養は自然と
  身に付きます。ですから、游神館では、古来からの伝承通り、居合道と言わず
 「居合術」と言っています。
☆ 居合術とは、居合で斬る技術の事であるが、例え人を斬らない時代でも、居合術を
 習練する場合は、その刀法・手の内は伝承のものである事が重要です。
  その重要性が忘れられ、現代居合道にしろ、古流居合道にしろ、古来の居合術と
 は別物になってはいないかを考察してみた。
第1或る団体の現代居合道は、同じ居合という言葉を使ってはいるが、真の居合
   と言えるのか!
 1、斬れるとか斬れないとかは度外視した、斬る時の姿型を真似た型であり、古来
  からの居合術刀法とは違うものに作り上げた型を、格好よく見せる為だけの稽古
  をて、それが見え良く格好よく出来れば昇段して行くという現実。
   其れの段位を取り高段者に成った者は、居合術の達人になったと思い違いをし
  てはいないのか。?
  周りの者も、その者居合の達人と勘違いしているのではないか?・・変な現象
第2、斬れない型稽古をしている現状
 1,『剣術・剣道・居合と試斬は両輪の如く在れ』と昔から言われてきたが、居合術も
   剣術も剣道も、時代と共に殆どの道場(者)が、実際に巻きわらを斬って鍛錬する事
   をやめてしまったので、それに伴い、斬る刀法・斬る手の内も忘れられてしまい、
   斬る時の型を真似しただの、姿型を見栄え良くする為のだけの稽古になって
   しまっている。
 2、それを裏付ける事実がある。
  ⑴、現代居合道・剣術・剣道の高位・高段者が、それぞれの型そのままの型を使い
   巻きわらを斬れない場面を何回も目撃している。
   古流居合術・現代居合道・剣術・剣道などの、高位、高段者でも、巻きわらを斬った
   事が無い者が殆どであり、古来からの鍛錬方法を疎かにしてきた弊害が出ている
   事は言う迄もない。
  ⑵、巻きわら斬り実践稽古をしないので、斬る刀法・斬る手の内を知り得ず、
   その結果巻きわらを斬れない型になってしまっているのだ。
  ⑶、その斬れない型を日頃稽古しいると言っても過言では無いだろう。
 3、或る居合道場の稽古場面での事
  ⑴、或る居合道団体の高段者の、面を斬り下す稽古を見ていた。
   刀を上段から斬り下す時、面より上の方を斬る刀使いであり、上の方で樋音が
   しており、更には、面の直近上部付近から面の下部付近の刃筋を見ていると、
   わずかに波状に刃筋がぶれている。
    ところが、その高段者は「今面を斬ったぞ、どうだ」と言わんばかりの得意
   顔をしている。
    樋音をピューっと出して刀を振ったので、刃筋が通って、それで斬れている
   と思い込んでいるのだろう。
    それと、そういう刀の使い方をしないと、切っ先を水平 にキチッと止める
   技術が無い事が判る場面だ
   ☆ そもそも、切っ先を水平に止めなければならないとか正面に止めなければ
    ならない等という細かい決まりなど、古来からの刀法には無かったものであ
    るが。
  ⑵、真剣や模擬刀を使い、樋の音をピューっと出して振っても、斬るポイントで
   刃筋を通しているかどうかは本人には判らないし、樋音が出ても刃筋がちょっ
   とでもズレていれば、斬り通せない、と云う事を知らないのだ。
    要するに、斬る刀法・斬る手の内を知らないので、稽古の時にも斬る手の内
   を使う事ができず、刀の使い方・刀法自体も変になっている事が判らないのだ
   ・これが現代居合道で高段位を持っている者の稽古の現状だ。
   ・真の居合術刀法で、巻きわらをスパスパ斬る我らからすれば、その者は、
    居合の達人とは言えないし、何の高段位だろうかと思ってしまう、
 4、巻きわら斬り稽古を行い、真の居合術刀法を知る重要性
  ⑴、くどいようだが、巻きわら斬り稽古をして、斬る刀法・斬る手の内を知る事
    がとても重要なのだ。
    現代居合いに限らず、古流居合い、剣術等でも型稽古ばかりで、巻きわら
   斬り稽古をしないので、斬る刀法、斬る手の内を知る事が出来ないのだ。
    その結果『斬る刀法・斬る手の内とは違う、誤った刀法で稽古をしている』
   のであるが、その事の認識が無い。 
    何も斬れない手の内で習練しても、真実の居合を習練しているとは言えない
  、或る道場師範代と門弟のやり取り・・・笑えない事実・・・
   門弟・・・「先生、斬り下しの時は、どこに力を入れたらよいですか。」
   師範代・・「どこに力をいれるか、口では説明できないが、こうやると良い」
   と言って、樋音をピューっと出して斬り下しをして見せたが、それは斬る刀法
   とは違う、《巻きわは斬り通せない刀使い》であり、どこを斬っているのか
   判然としない刀使いであった。
    それを見ていた門弟は、疑問が解消したのかしないのか、師範代に「ありが
   とうございました」と言って、また斬り下しの稽 古を始めたが、釈然としない
   顔つきであった。
  ⑶、何の指導をし、何の稽古をしているのだろうかと、唖然とした。
  ⑷、游神館で数年習練した者なら、斬る刀法・斬る手の内を知っているので、
   直ぐ説明できるのにと思うと同時に、良い指導者に恵まれずに可哀そうにと
   思う場面であった。
  ⑸、師範代が、居合型で巻きわらを斬る刀法や斬る手の内知らないので、教え
   ようにも教える事が出来ないのだろう。
  ⑹、斬る刀法・斬る手の内を知っておれば、正しい居合術刀法を、自らが言葉に
   出して、判りやすく説明し指導出来るではないかと思料される。
  ⑺、居合も剣術も実践斬り稽古をやって、斬る刀法・手の内など、正しい刀法を
   身に付ける事が非常に重要且つ必要と判る。
 5、真の居合術を伝承する事
   誤った刀法や指導の在り方など、いろんな事を目の当たりにして、居合術とは
  言えないものが、居合道としてまかり通り、後世に伝わって行く事を危惧せずに
  はおられなかったし、真の居合術を後世に伝承しなければならない、その重要性
  と必要性を痛感した。
 ※、 現代居合道・剣術・剣道の高段者と言えど、巻きわらも斬れないでは本当の
   達人は言えない所以である。
第2、古来伝承の居合術の現状。
 1、居合術とは斬る技術の事である。
  ⑴、今では居合術の事を大多数の者が居合道と言い、その呼び名も違い、居合道
   習練の目的も、精神の修養に重きをなしている。・・・沢 友彦先生の言葉
  ⑵、古来伝承の居合術が、長き伝承の内に《斬る刀法と稽古している型》とが、
    微違ったものになっている。
  ⑶、古来伝承の居合術の殆どの型が、斬れない型になりつつあり、今では、その
    斬れない型、斬れない刀法を、姿良く見せるだけの稽古をしている。
 2、古来伝承の型と微妙に違っている要因
  ⑴、第一の原因は、実践斬り稽古をしない事が挙げられる。・・・前記の通り。
  ⑵、人的要因もあると推察される。
   ①、伝える者と伝えられる者との意識の相違、技術と理解力の差など、幾つも
    の要因があって、本来の居合術の型とは微妙に違った居合術になってい
   ②、指導者自身、師から古来伝承の型を忠実に習っておらず、キチッと受
    いでいない事も考えられる。
   ③、忠実に受け継がれず伝えられていない、その型が、そのまま伝承されてい
    るとも考えられる。
   ④、指導者が、居合術の本質をはき違えた刀法を指導していたり、更には伝承
    の型勝手に変えて指導している可能性も考えられる。
   ⑤、古来伝承の居合術の型に、何故か現代居合道刀法を取り入れた型の指導
    をしている。
    このような事は絶対してはならない。・・・果たして現状は??
第3、真の居合術を後世に伝承するための方策。
 1、居合術を修練する者も指導者も、居合術派生の源流と本質を能く能く知り得る
   事が重要である。
 2、斬れない型を稽古している現状を認識し、打開策を講ずる事。
 3、現状を見つめなおし、反省すべき点は反省し、研鑽する事。
 4、現代居合道の型と、古流居合術とは、居合と言う名で似てはいるが、全く別物
   である事を能々認識する事。
  ※・・・斬れる刀法・・・斬れない刀法
 5、古来伝承の型の研究。・・・日本刀試し斬り研究所の項目に詳細を記載
  ⑴、古伝書の刀法・内容を理解し研鑽する。
  ⑵、他の道場・他流派の居合の刀法をも研鑽する。
  ⑶、自身の居合術を古来伝承の刀法に近づける努力を怠らない事。
    それでなければ、真の居合術の伝承は出来ないだろう。
第4、古来伝承の居合術と現代居合道を稽古する意味合い。
 1、現代居合道でも古来伝承の居合道(斬る事が出来ない居合の型)でも、見栄え
  する刀使いと体捌きをやって、健康的なスポーツとして捉えてやるなら、それは
  それでよいだろう。
 2、この場合は、居合道と言わず『スポーツ居合』とでも言った方が適語であろう
   ・・・私見。
 3、元来、人を殺傷する技術である居合術が、経年の内に「虚と実の狭間」で道を
  付け、「居合道」と 呼ばれるようになり、更に、スポーツ化・芸術化している。
 4、刀も江戸時代になると殺傷道具から「武士の魂」的存在になり、現在では観賞
  用美術として収集している者もいる。
第5、無外流 鵬玉会会長 武田鵬玉氏は「居合をする者は、居合の型で斬れなければ
  ならな
  斬れない居合いは只の踊りだ、踊りなら芸者の方が上手だ」と公言している。
   ・・・うなずける点もある。
第6、游神館では、古来から伝わる《真の居合術・剣術(抜刀術)》を後世に伝承
   したいと強く思っている。
第7、游神館では居合・剣術の真の達人に成れる様に《巻きわら斬り・青竹斬り》を
   実践し、研鑽鍛錬している。
 1、上達して行けば、どんどん位が上がる古来の剣術の習わしを取り入れている。
 2、習練者の実力が、自分にも周囲にも分かるよう独自の昇段制度を設けている。
  ※ 鍛錬して行けば、自身と誇りが芽生えて来る事でしょう。